どうやら、電池切れらしい。
昔は、自動巻きの腕時計が普通だったが、今の腕時計は、大抵が電池式になっていて、定期的に電池を交換しなければいけない。といっても、自分では交換できず、時計店や電気店などで電池交換をしてもらわなければいけない。これが、結構うっとうしいもの。腕時計の電池切れは突然で、時間がわからなくなってしまうのもそうだ。
仕方なく、電池交換を・・・と思ったのだが、考えれば、今使ってる腕時計は少し古いことだし、ここで、新しい腕時計でも買うか・・・。
昔は、腕時計は結構高級品のイメージで、腕時計をしていること自体、ちょっと贅沢なオシャレだったものだが、今はもう、小学生でも腕時計をはめている。私も、ダンヒルなどの高給ブランド品の腕時計をはめる気は無く、ただ、時間さえわかればよいのだが、折角だから、少しばかり、こだわりの腕時計でも買ってみるか・・・。
では、どんなこだわりを・・・?
腕時計のメーカーと言えば、やはり、シチズンがポピュラーだ。シチズンの腕時計で、何か、しゃれたものは無いかな?と、検索してみることにする。ここで、リアルスケールというフリーマガジンがあることを知った。
これは、シチズンの腕時計を取り扱っている店で配布されているもので、235×75mmといった少し変わったサイズで、PP(ポリプロピレン)製のケースに封入されたユニークな雑誌となっている。
この『REAL SCALE(リアルスケール)』の雑誌は、季刊で、毎号、自由に「時」を謳歌し、数々の作品やメッセージを世に送り出しているトレンドセッターやカリスマたちをサポーターとして迎え、こうした人たちの「時」や「時計」をテーマにした“本当の話/REAL”を紹介している。9月28日から発刊され、創刊号では、石川次郎(編集者)、伊藤弘(グルービジョンズ/デザイナー)、武田双雲(書道家)、蝶々(エッセイスト)、山本康一郎(スタイリスト)と、様々な分野のエキスパートがサポーターとして、誌面を飾っている。
ここまで、“時”にこだわった企業姿勢を見せているとは、さすが、腕時計の老舗のシチズンだ。
私が好きなシンガーソングライター、福山雅治が、シチズンのイメージキャラクターとなったのも興味深いところ。音楽だけでなく、俳優とや、写真家としても個多彩な才能を発揮する福山雅治の個性が、シチズンブランドと共鳴し、しゃれたイメージのコラボレーションがまた、かっこいいところ。
やはり、腕時計でも、こうしたところのさりげないこだわりで、自分に磨きを変えてみるべきか・・・。
というわけで、新しい腕時計は、やはりシチズンブランドで決まり、というわけだ。
私にはペルー人のミュージシャンの友人がいて、私がボランティアをやっている児童施設でコンサートや交流会を行ったこともあり、私個人的にはペルーへの関心も高く、数年前にはペルーへ行き、マチュピチュの遺跡やナスカの地上絵をこの眼で見てきたりもした。
その時は、フジモリ大統領の後任で、トレド大統領の時だったが、トレド大統領の一般市民の評判はあまり良くない様で、政府に対する不満から、デモが起こったりもしていた。友人のペルー人と、フジモリ大統領について話をした時も、フジモリ大統領を支持するようで、ペルー本国でも、フジモリ大統領を呼び戻す運動が起こったりしていることを聞いた。
現在でも、貧困層でフジモリ氏を支持する人が多いのは事実のようだ。やはり、経済面での政策が、人々の支持を得るのに重要となるらしい。
一方で、汚職を指摘する声もあり、それ以外にも不当な投獄があった、などの指摘があるが、これがどの程度の事実なのかはよく分からない、結局、このあたりの事実、証拠を明らかにするのが、現在のペルー政府の課題だろう。
韓国の朴政権の時代、また、スペインのフランコ政権の時代を振り返ってみても、独裁政治が指摘されているが、同時に、この時代に経済が発展したのも事実となっている。
独裁者と言うものは、政治的手腕があれば、却って、その体制を活かして、国を一つにまとめやすく、これが、経済の発展をもたらす、というものなのかも知れない。
勿論、独裁政治を許すべきだ、とは言わないが、民主主義と経済の発展は、結構兼ね合いが難しいものなのだろう。
ペルー政府としては、裁くべき事実をはっきりさせ、国民に納得させた上で、正式にフジモリ氏の裁判に取り掛かるべきだが、果たして、うまくいくだろうか。フジモリ氏の支持派と反フジモリの人達との衝突が、その妨げにならないよう、国民達も冷静に政府の動きを見つめるべきだろう。

ジャファル・パナヒ監督の映画は、少し以前に白い風船を見て以来。アッバス・キアロスタミの助監督を務めていただけに、友達の家はどこの二番煎じ的な内容は仕方ないとは言え、あまり強い印象を受けなかったのが正直なところ。しかし、この映画では、これまでのイラン映画では無かったまた新しい面白さを見せてくれている。
どこの国でも、サッカーの人気は同じ。これが、ワールドカップの出場権をかけた試合となると、国民的な熱狂になるのもまた同じもの。こうした普遍的なテーマに、女性はスタジアムで男性と一緒に試合を見ることが出来ない、というイランの特殊な国の事情が加味されることで、実に特殊な内容になる。男尊女卑のイスラム原理主義の社会での問題を訴えるものかもしれないが、決して社会性は前に出さず、ユーモラスに、肩が凝らない展開で見るものをストーリーに引き込んでいくのは見事なものだ。映画でも、やはり娯楽性が第一、というのも、私個人の主義と合致するのがまた、この映画に惹かれるところだろう。
イスラム圏の女性でも、結局は皆同じ、というのもこの映画のアピールポイントだろうが、映画の冒頭、戸惑いがちにスタジアムに入ろうとする女性が、実は、個人的な大きな理由があった、というのがエンディングで明らかになる、というのも心憎い演出だ。
個人的にイラン人との交流がある私からすれば、イラン人に結構親近感を持っているが、この映画で益々親近感を感じさせられることになってしまった。これで、機会があれば是非イランに言ってみたい、という気持ちも更に強まりそうかな・・・。
★65点

日本では大阪でも、アメリカと同様に二本立て、予告編入りで上映されたのだが、これで見れば、もう少し面白さも堪能できたかもしれない。しかし、3000円出して見る価値はあったかな・・・?
日本でも、これにあやかって、かつての、邦画二本立て、三本立ての映画館を思い出させてくれるような映画の企画が出れば、嬉しいのに・・・。
★55点

宇治の駅のすぐ近くに京都文教大学のサテライトキャンパスがあり、ワークショップやシンポジウム、プロジェクトを通じた地域住民との連携・交流の場として活用できるよう、一般の人に提供されているらしい。こうした施設は、貴重なものだろう。
上原氏もここを拠点にして、新しく、ミニコンサートを行い、地元の人たちの交流の場、また、アマチュア・ミュージシャンなどに演奏の場を提供する活動を始めたらしい。相変わらず、精力的な活動を行っているのには脱帽する。飛び入り演奏も受け入れているそうだ。
前回は、第一回目で、地元の広報などでも紹介されたことから、沢山の人が集まったそうだが、今回は、開始時間間際になってポツリポツリと人が集まりだした程度。それでも、ミニ・コンサートなら、これくらいで丁度良い感じ。
前回は何組か飛び入り演奏も合ったそうだが、今回は、上原氏のグループと、もう一人、これもそうぞう館で定期的にライブをやっているsahakoさんの演奏のみ。演奏する時間がもらえるようなら、私も少しやらせてもらおうかと思い、ギターを持参したが、最後の方になって、三曲ほど演奏させてもらうことが出来た。
地元の人の交流の場としてふさわしい雰囲気だが、これも京都ならではなのだろうか。大阪の方でもこうした場がもっと出来て欲しいものだ。
毎月第一土曜に開催していくそうで、次回も、また演奏させてもらうことにするか・・・。
そうぞう館でのライブもまた再開したいものだ。こちらは次回15日なので、バンドに加わって演奏は無理かもしれないが、一応は顔出ししてみることにしよう。









